平らかなる共病記_アラフォー満喫中

胸腺がんと向き合う30代後半の日々

教えるということは『教える』ことではない。

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何度もは言い過ぎかもしれませんが、最近カバンの中にいれてたまに読み返している本が外山滋比古さんの『思考の整理学』。なんとこの文庫本の初版は1986年4月24日。ぼくが生まれた少し後。ぼくがいま手にしているのは2020年9月5日発行の124刷というのだから驚きです。

一説ごとにじっくり読むと味わい深く。読んでる途中で思考が深まり自分の中で考えが形作っていくような感覚があります。

この本に仕事がうまくいく方法が書いてあるわけではないのですが、自分の経験や知識を組み立ててる手助けになってくれています。

最近のHOW TO本はこうしたら成功する!みたいなことが書いてあることが多いですが、実践したところでそれが100%の正解であるわけではないので、結局のところ自分自身が判断しケースバイケースで対処しないといけません。このような思考を深めてくれる本こそが読書たりえるものだと偉そうなことを思ったりしてます。

 

さて、ブログタイトルの件については、本を読んでるなかでふと頭に思い浮かんだことです。

1章『不幸な逆説』のなかにこんな文章があります。

 

いまのことばの教育は、はじめから、意味をおしつける。疑問をいだく、つまり好奇心を働かせる前に、教えてしまう。意味だけではない、文章を書いた作者についてもあらかじめ、こまごましたことを教えようとする。

 

この文章を読んだ時、ぼくの頭によぎったのはエレクトーンでした。自分でもよくわかっていないのですが、なぜか5歳のころからエレクトーンをほそぼそと続けていてかれこれ30年以上がたっています。ほそぼそのお陰でむちゃくちゃスゴイ腕前というわけではないのですが、好きな曲を頑張って練習すれば演奏できるレベルではあります。

じゃあなぜ、音楽一家に生まれたわけでも、音楽でご飯を食べているわけでもない人間がほそぼそでも続けていられるのか…

それは意味の押し付けがなかったから、好奇心を働かせ続けていられるからだと思います。

振り返れば、嫌嫌やっていた時期もゼロではありません。コードを覚えたりするのは苦手だったし、何でこんな曲選んで演奏してるんだ?って思った時も数々ありました。

しかし、いつの間にか面白さに気づくわけです。アレ?こうやったら上手く弾けるじゃん。この音を組み合わせたらキレイに聞こえるぞ!などなど発見があってどんどんのめり込むわけです。

その『気づき』さえ得てしまえばあとはどうとでもなります。そして気づけば30年以上ほそぼそとでも続けてしまっているわけです。たぶんこれだけは一生モノですね。

とまぁ、何が言いたいかといいますと…

最近はSNSyoutubeで…効率よく上手くなるコツみたいなことを発信している人がいるのを見かけます。でもそれは本当にためになるのでしょうか?最初からコツを教わって簡単に演奏できるようになったとして、一曲ひけるようになってそれだけになってしまいませんか?好奇心は続くでしょうか?

自分でコツを見つけることこそが、『気づき』発見で面白いことなのではないでしょうか?

 

教えることは『コツ、発見』までを教えて、気づくことの面白さを奪ってはいけないんだなと感じます。

ただ、これは時間をかけられる教育や趣味の話。仕事はこうもいきません……

 

『仕事を教える』ことには時間をかけすぎることはできめせん。仕事だとどうなのかは、また後日に考えたいと思います。