それは心に焼き付いている、ろくでもない思い出。忘れたくても猛烈な痛みにより植え付けられた記憶…。
2010年8月、24歳の夏。
大学院に進学していた僕は、引き続き大学と家を往復する学生生活を送っていた。実家暮らしで大学は家から原付バイクで10分もかからない距離。高校よりも近い位置にあった。大学、バイト、サークル活動に趣味少々。なんともこぢんまりとした生活範囲であった。
暑さが厳しくなっていた8月の中ごろ。大学はすでに夏休みに入っていた。研究室で過ごすかバイトするか…僕の生活に変化はなかった。
変化をもとめてもいなかったのに…。
その日は朝から丸1日のアルバイトがあったので早起きを心がけていた。テレビのローカル局のアルバイトで、カメラマンのサポートにつく仕事だ。滋賀県内ならどこにでも行く可能性がある。あまり勤務に入れなかったが楽しみにしていた。
目を覚ましたのは午前5時。流石に早すぎる。楽しみにしているとはいえ、遠足のときに早起きする小学生ではなないのだから…。もう少し寝ようとしたが、どうしたことか寝付けない。
真夏の早朝。昼間に比べれば暑さはマシとはいえ、気温はそれなりに高い。シャワーを浴びれば少しはスッキリするだろうと考え行動に移した。
確かにスッキリはしたのだが、何か変だ。今度は逆に寒気のようなものを感じる。おかしい。いったい自分の体に何が起こっているのか?
自分の部屋にもどり横になっても寒気は続き、イヤな予感が拭えない…
そして、その時が、やってきた。
ズキン!ズズズズッ…ズキン!
突如、想像を絶する痛みが左の脇腹を襲った。
「あっあっ、いた、いつ、いった…あっつ」
まるで腹の中に直接刃物を突き立てられたかのような痛み。口からは言葉にならないような叫びが飛び出る。当然のことだが手で痛む箇所を抑えてもまったく効果はなく、耐えようにも耐えられない。声は徐々に大きくなっていった。
「うるさい!何大声出してるの」
完全に日も昇ってない時間。一般家庭なら起きるには早い時間に自分の息子が大声をだしていたら怒りたくなるだろう。
しかし、ちょっと待ってほしい。息子は人生最大の痛みに襲われている最中。痛みをこらえなんとか声を絞り出す。
「痛い、痛いねん。ここ、左脇腹あたり」
「なんやのもー」
母が部屋に入ってきて僕を見て驚いたことだろう。尋常じゃない痛がり方をしている自分の息子に。
「どうしたんや」
父も起きてきて様子を見に来た。しかし、それで痛みが変わろうはずもなく…あまりの激痛から体からは冷や汗が吹き出て滝のように流れる。
両親は盲腸なら右やしな、とかどうかという話をしていたが、すぐに救急車を呼んだ。
まさか、自分が救急車を呼ばれる事態になるとは、しかも自宅で…。救急車が来る間、母にバイトの断りの電話を入れてもらい、心配ごとがなくなった頭で痛みについて考えた。が、答えなど出るはずもなく…
そんな無駄な時間を過していると…、救急車のサイレンが近づいてくるのがわかった。早朝にご近所の皆さんに迷惑なことを…。
自宅の前に救急車が止まった。救急隊が家に入って来るのがわかる。この間も痛みは引かない。早くどうにかしてくれ!そう願いながら彼らの動きを待った。
「大丈夫ですか?どこが痛みますか」
「ここ、この脇腹あたりがめちゃくちゃ痛くて」
「…結石かもしれないですね。痛むかもしれませんが、救急車まで運びますよ。頑張って下さい」
担架に乗せられ、動きがブレないようにくくりつけられる体。締め付けられた苦しさはあまり感じなかったが、痛みは継続中。痛みから解放してほしいという気持ち以外は浮かんでこない。
救急車に乗せられ、ストレッチャー固定された。
行き先は近くの大学病院。車なら15分とかからない距離だ。母も付き添いで乗り込み、サイレンを鳴らし救急車は発進する。
痛みにも少し慣れ、浅く呼吸することで痛みが逃げることもわかってきた。これでなんとかなる…そう思っていた矢先。
さらなる刺客が…猛烈な吐き気だ!!
車にのると当然揺れる。ただでさえ体が悲鳴を上げてるなかで、縦揺れ横揺れがくると人間は吐く。胃の中のものをぶちまけてしまう。
「ぐえー」
胃の中に残っていたもの全部が出てきた。それでも吐き気はおさまらない…。しまいには黄色いナゾの物体が自分の口から出てくる。なんだこれは本当にヤバい病気なのか?
「それは胃液だね」
(そうなんだ、人間、吐くものがなくなったら胃液が出てくるんだ、しかも黄色いんだ。へ〜…って痛くて気持ち悪くて、こっちはそれどころちゃうねん)
もう絶望するしかない。僕がいったい何をしたっていうんだ。
「結石ってどれぐらい痛いものなんです」
「そうですね。痛みでいうと5本の指には入ってくると思いますよ」
諸々耐えている隣からは母と救急隊の声が聞こえてくる。何を呑気な会話をしてるだ本当にこっちはそれどころじゃない……………………………………
気づけば病院に。
あとはあっという間だった。CTをとり、痛み止めの座薬をいれられ(はうっ)、点滴を受けおしまい。
尿道に石が引っかかって、傷付けたんだろうとのこと。石もそこまで大きいものではないため自然に出るのを待ちましょうという診断だった。
石といっても、その辺にあるような丸っこいものではない。不出来なコンペイトウと例えようか、トゲトゲした固まりなのだ。
後に出てきた結石はやや平べったくも周囲は尖った部分もある形をしていた。親指と人差し指でもち少し力を加えると十分痛い。これが体のなかの細い道を通ってきたと考えると恐ろしい。
痛みさえ引いてしまえば、あとは何ともなし。自分の足で歩けるし、飲み物も飲める。いったいあの痛みはなんだったのか。
翌日以降、バイト先や大学で結石のことを伝えると皆に笑われた。散々痛い思いしたんだから話のネタになったのは幸いだった。中には結石の痛みを知る人もいて盛り上がった。
しかし、二度と味わいたくない痛み。
二度と味わうまいと思っていたのに…その後、三度ももがき苦しむことになる。
一生のうちに結石になる確率は日本人では約10%だという。しかも再発のリスクも高く、なってしまう人は何度も繰り返してしまう。10%を引き当て、ちゃんと再発もする…こんな病気になんでなったんだって悩んだり、悔やんだり…。
その痛み、結石に、まさか、感謝する日がくるとは…。
2020年8月、34歳の夏。
最初の痛みから10年どこか運命を感じるかのようなタイミングで襲ってきた結石の痛み。
10年前の再来!緊急搬送。
今度はその痛みだけではなかった。
なんと、搬送先の病院で撮影したCT画像をきっかけに『胸腺がん』が見つかったのだ。
すでに他の臓器に転移しているステージ4という状態であったが、まだ体は言うことをきいてくれている。もし、さらに発見が遅くなり、他の臓器でもがんが進行していたら手もつけられない状態だったかもしれない。
現在は抗がん剤で治療を受けている。
結石の痛みが、僕を救ってくれたといっても過言ではない。
今なら言える。結石よありがとう。
この痛みも捨てたもんじゃないなって…
そんなこと思うか!感謝はしても、痛いのは痛い。役目を終えたんだからとっとと体の外に出てくれ!複合してるのかもしれないが、抗がん剤の副作用よりも結石にからむ痛みの方が辛いんだよ。
あぁ、本当にろくでもない話だよ。
【あとがき】
一人称の小説風?に書いてみました。どないでしょう?まだまだ練習が必要ですね。
結石はほんっっっっっとに痛いですよ。